東京原告の想い~被害の実態と伝えたい想い~

佐藤奈津美さん、市議会で意見陳述をした東京原告さん、東京原告23歳女性さん

2022/03/27学習会

『HPVワクチン接種の積極的勧奨再開を目前にして』

東京原告 佐藤奈津美さん「一刻も早く直りたい」

 

こんにちは。本日はよろしくお願いします。

私は、北海道在住のHPVワクチン薬害訴訟東京原告の佐藤奈津美です。

 

春から、HPVワクチン接種の積極的勧奨再開が決まりました。被害を受けた私は、新たな被害者を増やしたくないと思い、今まできましたが勧奨再開が決まってしまいとても残念です。

 

私の被害の実態を聞いて下さい。

現在24歳です。接種年齢は、15歳の高校1年生の時でした。住んでいる自治体では、積極的勧奨は学校からではなく保健センターからの個別郵送でした。

 

中学3年生の時、1回目の勧奨がありましたが接種しませんでした。高校1年生の時に、2回目の勧奨がありました。高校1年生が接種できる最後なので必ず接種して下さい。と送られてきました。

 

必ずと書かれていたので、絶対接種しなければいけないと思いワクチンを打ちましたが、努力義務だと知ったのは接種をし、副反応を起こした後のことでした。

 

副反応を発症したのは、接種してすぐの15分後でした。MSD社のガーダシルを2013年5月20日に1回だけ接種しました。激しいガンガンした頭痛、接種部位の痛み、しびれ、呼吸が苦しい、だるさが出ました。

 

この症状は、接種当日から現在も出現する症状の1つです。副反応を発症して9年になります。

この時間内で、全ての症状を伝え切れませんが毎日、沢山の症状が出ます。痛みはもちろん、無理をすると疲れが強く寝たきりになります。今まで当たり前にできたことができなくなり、理解できていたことが突然わからなくなりました。 漢字がひとつも書けなくなりました。接種する前は、普通に書けていました。

 

一日の中でも、いろんな症状が絶え間なく襲ってきますが、記憶障害があります。私の言っていることはきっとおかしいと思います。しかし、自分の中ではこれが普通なのです。

 

私は、お母さんがいません。

 

今、一緒にいる人は、まわりの人からお母さんだよ。と言われますが私にはわかりません。毎日、知らない人が一緒にいるのでなんで一緒にいるのかわからなくて、自分でもどうしていいかわからずイライラしてくることも多いです。

 

どうしてなのかわからないですが、お母さんは突然いなくなりました。その一緒にいる人が症状について教えてくれます。

 

私は、見た目は普通に見えますが、発作というものが起きると痛みはもちろん、歩けなくなったりボーっとして意識が飛んだり、からだに力が入らなくなり、自分のことが何もできなくなります。発作が起きた後は記憶が全くないそうです。数日前も、自分のことがわからなくなったり自分がどこにいるのかさえもわからないことがありました。ボーっとして、ガラスで手の指を深く切ってもわからず、血がダラダラ流れているのを見てやっと初めて気づいた。ということがありました。

 

北海道は特に治療してくれる病院がありません。主治医は、症状に理解があり対症療法で経過観察してくれています。道外には、治療法を考えてくれる先生がいますが、いつ起こるかわからない発作などを考えると北海道からはなかなか行くことができません。

 

確立した治療法がないこと、国は接種させるだけさせて全く機能していない指定病院を作りましたが、はっきり言って被害を放置したまま積極的勧奨を再開しようとしています。

 

たった0.5ミリの薬液が私の身体には危険でした。

 

再開すれば、改良もされていない日本はもとより、世界中で被害が拡大したこのワクチンを接種すれば、被害者は確実に増えると思います。自分の自治体には、勧奨再開してほしくないと伝えました。しかし、接種機会を逃した人、対象年齢の人たちに案内を送るとのことでした。

 

治るのか、将来自立していけるのか今までもこれからも不安です。

一日も早く治りたいです。

 

どうか、この学習会が考えるひとつのきっかけになってほしいと願っています。

本日はありがとうございました。

 

 

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2022/07/03学習会「HPVワクチン副反応被害を学び シンポジウム形式で マスコミ報道の現状と伝える事の大切さを考える」

東京原告 23歳女性さん

「副反応が出始めて9年、今でも被害は続いています」

 

みなさん、こんにちは。HPVワクチン薬害訴訟、東京原告です。これからお話をさせて頂きます、よろしくお願い致します。

 

私は現在23歳です。子宮頸がんワクチンは、中1・2年生の時にガーダシルを計3回全て打ちました。高校と今年の3月に大学も卒業することが出来ましたが、体調的に働くことが厳しい状態であるため働けていません。でも働くことを諦めたわけではないので、今の自分に合ったスタイルで仕事ができるように色々考え挑戦するための準備をしています。

 

そんな私は、HPVワクチンを接種する前は運動も勉強も大好きで活発に取り組んでいました。ただ持病はありませんが、小さい頃から体調は崩しやすかったため、熱が出ると39度以上は当たり前で回復にも時間がかかってしまい1週間全て休んでしまうことが幼稚園の時から度々ありました。なので病院に行く機会が小さい頃から多かったため、いつからか医者にあこがれを抱き、将来の夢は小学生の頃から「医者」です。そのためにずっと頑張り続けていました。

 

私はワクチンを接種してから副反応とわかるまでに、時間がとても空いてしまいました。3回目を接種した中学2年の4月以降から頭痛がある日が多くなったり、テストの点数が急に落ちたり、部活中もすぐ息切れするなどと違和感があったのですが、副反応だなんて頭にすらなく、また体調を崩したという程度の認識で過ごしていました。そして、熱が出ると欠席が続いてしまうため、熱が出たときにしか病院には行きませんでした。

 

高校に入学してからは、症状が徐々に悪化していきました。そして、高1の8月に、立つのも辛いほどの激しい頭痛・手足の震えやしびれといった今までにない体調の崩し方や症状がでたため、いくつか病院にいき検査入院をしました。数値的な異常はないものの、HPVワクチンの副反応の疑いがあるため、協力医療機関を受診しましたが全然診てもらえず因果関係は不明であるということで終了しました。どこの病院なら診てくれるのだろうかとわからず困っていましたが、この時にはすでに被害者連絡会が設立されていたため、母が入会し病院を教えていただき、そこに受診をして副反応だと言われたのが高1の11月です。この時にはもう症状が沢山でていました。

 

今の私の主な症状は、パッと思いつくだけでも2,30個くらいあります。頭痛や体が意思とは違って勝手に動いてしまう不随意運動、とてもまぶしく感じる光過敏など多種多様です。さらに、全体的に症状が年々悪化しています。たくさんある症状の中で1番悪化しているのは、力が入らなくなってしまう脱力です。常に脱力状態というわけではありませんが、普段の生活に支障はきたしています。高校の時は夜にしか起こっていなかったのですが、大学に入ってからは朝昼晩関係なしにどんどん起こるようになっていきました。どのようなときに起こるのかというと体調がより悪い時や姿勢維持がされている時、疲労感が強い時などです。時間も場所も関係なく、突然体の力が抜けて動けなくなります。私の脱力した時の感覚としては、体の動かし方がわからない、思い出せない感覚です。

 

例えば、座ったままでいると立ち方や歩き方がわからなくなってしまいます。寝て起きたときに、体の起こし方がわからなくなっている時もあります。1番酷いのは、全身動かせなくて頷くことも声の出し方も全てわからなくなり、呼吸以外できなくなる時もあります。脱力した時は、関節を動かしてもらう等と補助してもらい時間をかけて動けるように戻すか、数時間たてば動けるように戻ります。戻るのですが、家でも学校でも外出時や公共機関の利用中など様々な場面で脱力するため、1人で外出は厳しいです。

 

その他にも毎日たくさんの症状が重なってあらわれるため、高校生活は一変してしまい欠席・早退・遅刻・保健室が増加し、高1の夏以降から卒業するまで、丸1週間通いきることが1度もできなかったです。通学は両親に毎回送迎をしてもらい通うことができていました。夢を諦めざるを得ない状況になり、辛いし悔しい思いも沢山しました。色々なことが出来なくなり、夢も諦めないといけない事実を全然受け入れられなくて、まだ私はできるんだって、やりたいことも挑戦したいことも沢山あるのにって、だから私は大学にもいき、一時期は1人暮らしも挑戦していました。しかし、体への負担が増えた影響からか、高校よりも想像以上に体調が悪化してしまいました。体調的には辛くて苦しかったけれど、それでも高校も大学も卒業することが出来たのは、沢山の方が副反応や体調について理解しサポートして下さったおかげです。こんなに恵まれていいのかと思うくらい、非常に恵まれた環境で過ごしていたため、精神的な面でとても助けられました。沢山の方に感謝しています。

 

学生生活は無事に終わり、今は無理をせず過ごしているのですが、やはり体調は悪化傾向であります。私を診てくれている病院の先生は、症状に理解があり話も沢山聞いてくれて色々考えてくれ非常に助けられていますが、私の住む所には対処療法をできるところがありません。対処療法をするにはお金・時間・距離がとてもかかってしまいます。急に体調が悪化することがよくあるので、長距離の移動はとても不安であるし、救済制度の申請が私は通っていないため全て自費なので、一切したことがありません。なので私の主な治療は、薬の服用です。でも効果はほぼありません。また、食事管理や体を軽く動かすなどと少しでも良くなるために出来そうなことに取り組んでいます。

 

被害についてお話しましたが、もう副反応が出始めて9年経ち、今でも被害は続いています。何も改善されず、毎日たくさんの症状に耐え、苦しさや不安を常に抱えながら生きています。そんな中、今年の4月から積極的勧奨が再開されました。副反応報告が国や製薬会社に寄せられているのにもかかわらず、副反応リスクの説明が不十分です。SNS等を見ると、副反応のことを十分に知らない接種対象者が沢山見られます。これでは同じことの繰り返しになってしまいます。私は、副反応による被害の実態も知って頂いた上で、打つ打たないを考え選択することをしてほしいと思っています。そのためには、伝えていくことが非常に重要になります。だから私は、知ってもらう機会を作ったり頂いたりして「伝えること」を取り組むことで、1人でも多くの方にこのような実態があることを知ってもらい、接種について選択する際の1つの情報源として少しでもお役に立てることができたらいいなと思い、これからも伝えることをしていきたいと思っています。

 

いつもご支援して頂いている皆さん、ありがとうございます。以上で終わります。

 

ご清聴ありがとうございました。本日は原告としてお話しする場を設けて頂き、ありがとうございます。

 

2022/09/17 学習会「提訴から6年の今とこれからを学ぶ」

市議会で意見陳述をした 東京原告さん

「私の言葉が、裁判官の方や社会の多くの方に伝わりますように」

 

皆さん、こんにちは。 いつもご支援ありがとうございます。東京原告です。 

 

私は小学 6 年生の時、サーバリックスを 3 回接種しました。 接種後しばらくして生理が半年間止まってしまい、そこから全く周期の定まらない月経不順に陥りました。今はもう 24 歳になりますが、10年以上たった今も安定しておらず、3週間続いたり隔週で来てしまったりしています。

中学生の頃は友達と出かけた時、急に高熱を出して気持ち悪くなり立っていられなくなったり、地震かと思うような浮動性の眩暈に襲われたり、いつも手が氷みたいに冷たいねと言われていました。3人以上の会話についていくことも難しくなり、一人で黙り込んでいると「もっと会話に入ってきなよ」と言われたので、何で自分は他の人みたいに上手くできないんだろうと気にするようになりました。

 

疲れや眠気がひどかったことも当時の日記に書いてあったりしました。自転車を漕ぐのも同級生についていけなかったり、途中で気持ち悪くなったりすることもあって、頻繁に体調を崩すようになり、その度に色々な病院を受診しました。しかし、どこで検査しても原因がわかりませんでした。「心の持ちようも大事だと思う、適度に体を動かしてください」 と言われたので、私は「自分の心が弱いんだな、体力がないんだな」と思って、ジョギングや筋トレをしたり、 自分の心を励ます言葉を紙に書いて部屋の見えるところに貼ったりして過ごしていました。  

 

物忘れもしやすかったので、付箋をあちこちに貼ったりもしていました。それらの症状は出たり消えたりを繰り返すので、ストレスや気のせいだと思って、ワクチンに結びつくことはありませんでした。そうして、自分の体の違和感を抱えながらも誤魔化して生活をし続けていましたが、どんどん体調は悪くなっていき、高校2年生の夏、限界を迎えた私の体はついに動かなくなってしまいました。

 

今まであった症状に加え、頭痛や胸の圧迫感、吐きたいような不快感、全身が鉛のように重くて動けなくなるな ど数え切れないほどの多様な症状が一気に押し寄せ、一体どうしてしまったのだろうと得体の知れない自分の状 態に恐怖を覚えました。体が思うようにならず、学校に行きたくても行けないということを繰り返して数週間たった頃、母がテレビで HPV ワク チンの副反応を取り上げているのを見て、私の訴える症状と似ていることに気づきました。 そして、国の指定する県内の協力医療機関に相談をしましたが、そこでは麻酔科医による母の相談のみで、私は診察すらしてもらえませんでした。「真面目な子がなりやすくて、こんなことを騒いでいるのは日本だけだよ」と 母は言われたそうです。最終的には「不登校ですね」と言われてしまい、そこでは診察券も作ってもらえませんでした。 

 

その後は被害者連絡会や議員さんの助けにより、私の症状に向き合い治療してくれる医師のもとへやっとの思いで辿り着くことができましたが、副反応に対する治療法は確立しておらず、診てもらえる病院は遠方で限られて いて、被害者として厳しい現状を強いられていくことになりました。保健室登校や、病院に入院中は院内学級を利用したり、両親の働きかけや、校長先生をはじめとする高校の先生方、議員さんのお力添えなどがあり何とか高校を卒業することができました。 私の中には「友達と一緒に卒業したい」という気持ちがあり、そのために治療も頑張っていましたが、皆と同じ 日に卒業することは叶わず、先生方や両親に囲まれて一人で卒業式をしました。 大学受験もできず、友人たちと同じ道を歩めなくなって、どんどん自分だけが置いて行かれるような感覚がして どうしようもなく辛かったです。 待ってほしくても時は止まってくれなくて、動けないまま社会との繋がりが途絶えていき、一人寂しくベッドで 横になって過ごしている時間は、とても虚しかったです。症状の原因に気づいてから、私は人との関わり方にも悩むようになってしまいました。ワクチンの被害はよく知られておらず、タブー視されやすかったため、「もし否定されたらどうしよう」「自分の言うことは信じてもらえないんじゃないか」と、周りに伝える事がとにかく怖くて、一人で塞ぎ込むことで身を守っていました。 

 

ですが、そんな私を心配した母が、裁判に参加してみないかと提案してくれたのです。母は、法廷や報告集会で発言する原告の方達のたくましい姿や、弁護士さんと多くの支援者の方が温かく支えて下さっていることを知って、私の居場所になるのではないかと思ったそうです。自分のこれからを、一人で何とかしようとするのではなく、たくさんの人と繋がりをもって強く生きてほしい。 母はずっと、私の未来を案じてくれていたのだと思います。  

 

裁判自体は苦しい闘いでめげそうになることもあるけど、日本中の原告さん、弁護士さん、支援者さんと繋がり、 力を合わせて被害を伝えられるのは、とても心強いと感じています。原告になってから、支援者さんの中に今までの薬害の原告さんであったり、様々な薬害に関わってきた弁護士さんや支援者さんがいることを知り、驚きました。 そういった方々に支援してもらえてとても嬉しいと同時に、「どうして一緒に闘ってくれるのだろう、私も他の薬害のことを知りたい」、という気持ちが湧きました。その方達からのお話を聞いて学んだことは、「薬害は人災」なのだということと、「同じ被害が繰り返されないためには自ら行動を起こし伝え続けていくことが大切である」ということでした。 

 

薬害が繰り返されてほしくないという思いから、再発防止のために取り組まれていたり、自分のことのように考え、一緒に解決しようとしてくれる姿にとても励まされました。「原告本人の言葉こそが一番力がある」と言ってもらえたことで、被害を伝える勇気も出てきました。弁護士さんたちが原告を守りながら、裁判について一生懸命考えてくださるおかげで、安心して活動することができています。 私が学習会で話した内容や行政に対して行った働きかけについても、皆さんが取り上げてくれたり反応をくれることがとても有り難くて、一緒に闘ってくれる人たちの存在が、私にとっての希望になっています。自分は一人じゃなかったんだな、今まで多くの人に守られていたんだなと、皆さんに出会って気づくことができ ました。 関わってくださる一人一人の想いを力にして、この裁判に臨みたいと思います。 

 

また、裁判を通して私が被告たちに求めたいもの。それは、人に対する「誠意」です。今年の 4 月から再開してしまった積極的勧奨は、私たちをとても深く傷つけたし、新たな被害者を生み出したことは許せないと感じています。ワクチンは健康な人に打つものなのだから、限りなく安全でなければならないはずです。接種後に体に異常をきたし、将来の道を断たれるほど重篤な状態になるケースが多いという事実を、国と製薬会社はきちんと受け止めて、考え直してほしい。

 

また、私たちはただ単に、薬の副作用で苦しんでいるというだけではありません。平等な診療と治療を受けられず、圧力をかけられ放置されて、人としての尊厳を奪われてきています。被害者が心と体のハンデを背負うことなく同じ社会で生きていけるように、まずは非を認めて、適切な医療と行政の制度が受けられるように改善し、社会への認知度を上げて進学や就労で困らないようにしてほしいと思っています。 

 

そして、性教育や検診の重要性を国民に伝えていくことで、子宮頸がんに苦しむ人も、私たちのように苦しむ人 も増えない社会にしていけるはずです。これは、誰のためのワクチンなのか。なぜ、大切なことを伝えてくれないのか。叫ぶだけでは変わらないのなら、司法の力を借りるしかありません。新たな被害者をこれ以上増やさないため、そして被害を受けた人たちが真の意味で救済されるためにも、この裁判で被告らへ誠意を求めたいと思っています。 

 

最後になりますが、私には叶えたい目標や夢がたくさんあります。 車の免許をとって、家族の行きたいところに連れていってあげたい、アルバイトをしてお金をためたら、資格を取ったり習い事もしたい、物作りが好きなので、つくりたいものもたくさんあります。高校生の時から行きたいと思っている大学には、何歳になってでも行こうと決めています。 私の言葉が、裁判官の方や社会の多くの方に伝わるように、一緒に闘う仲間たちへの励ましになるように、精一 杯頑張りたいと思います。 

 

これからもご支援よろしくお願いいたします。 最後まで聞いて頂き、ありがとうございました。 

 

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022/07/03学習会「HPVワクチン副反応被害を学び シンポジウム形式で マスコミ報道の現状と伝える事の大切さを考える」

市議会で意見陳述をした 東京原告さん

「多くの人の心を信じて自分の被害を伝えようと思います」

 

みなさん、こんにちは。私は小学 6 年生 12 歳の時に、サーバリックスを 3 回接種しました。それから少しずつ体調を崩していき、高校生の時学校に通えない状態になって、私の人生は 180 度変わってしまいました。

 

もうすぐ 24 歳になるので、人生の半分をワクチン接種後の症状に振り回されて過ごしたことになります。家族とワクチンの話をしない日はほぼないし、毎日治る方法を模索しては試すという日々です。私が生きる道の大部分は、薬害で埋めつくされてしまいました。

 

ずっと体調不良の原因がわからなかった学生時代は自分を責め続けました。接種後から 10 年以上続く生理不順、物忘れしやすい・3 人以上の会話についていけない・日本語なのに理解できないなどの高次脳機能障害、異様な疲労感、体は火照るのに手足は氷のように冷たくなる、など、当時はワクチンに結びつかなかったし、そんな症状が起こりうるなんて情報も得られなかったので、気づくのが遅れてしまいました。

 

自分に鞭を打ち続け、動けなくなるほど悪化してからやっと原因にたどり着いたのです。勧奨再開をし始めた今も、リスクに関する説明は接種部位が痛むとかアナフィラキシーが稀にあるとか、それくらいのことだけで多様な症状が起こる可能性は書いてくれません。

 

現在の国とメディアの情報提供だけでは、もし接種後に体に異変が出ても私のようにすぐ気づけず、病院をたらい回しになり辛い思いをする人が多く出てしまうのではないかと懸念しています。原因がわからず、自分を責め続けるのはとても苦しいことです。接種前に知ってもらえるように、もし被害を受けてしまった時すぐに気づけるように、副反応症状やリスクの詳しい情報提供をしてほしいと思ったので、先月、両親と共に市長と市議会議長宛てに陳情書を提出し、意見陳述の場を設けて頂くことができました。

 

その際に、兵庫県多可町の元首長であった戸田善規さんの言葉を思い出しながら臨みました。「聞いてもらえないから…」という気持ちで接したり敵対心を向けるのではなく、行政の立場も考慮し協力しやすい提案をすることが大切だ、というお話をされていたことがありました。そのアドバイスが自分の姿勢を考えるきっかけとなり、聞いてくれる相手の目線に立ちながら今回の陳情書や陳述文を考えました。

 

意見陳述の際、どの議員さんも親身になって耳を傾けてくださり、涙される方もいました。終わった後も優しく

声をかけてくださって、私は改めて伝える事の大切さについて考えさせられました。今回の陳情で、全会一致で採択という結果が得られたのは、当初から支援してくださっていた市議さんと両親がこまめに連絡を取って繋がりを築いてくれていた事と、被害の当事者として面と向かってお話を聞いて頂けたこと、私自身の話す姿勢を変えたことなど、「人の心と繋がり」に重きを置くように意識したことが、良かったのではないかと思っています。

 

被害に気づいてから辛いこと、悲しいこと、裏切られたような気持ちになることが多くて、色んな人が敵に見えてしまっていたけれど、本当は、味方になってくれる人はたくさんいるんだと気づきました。陳情が採択されたことは新聞の記事にもして頂けて、それを見た支援の会の方がすぐ反応をくださったり、友人のお母さんや仕事先の人、知り合いなどたくさんの人から「見たよ!」「応援しています」と言ってもらえました。

 

それは私にとってとても嬉しいことで、もっと頑張りたいというやる気にも繋がっています。こうして新聞記事になったのも、議員さんや新聞社さんとの繋がりを両親がずっとつくってきてくれたからだと思うし、それを見てくれた周りの人達も私のことを想ってくれているからこそ言葉をかけてくれたのだと感じます。

 

そして、支援の会で作ってくださったリーフレットもたくさんお配りすることができています。市議さんのお力添えを頂き、他の議員さんや市内の小中学校 PTA 会長の方達にお渡しすることができました。私の友人たちにもデータを共有して、身近な人に広めてほしいとお願いしました。また、最近親しくなった知人で、私の話をとても親身になって聞いてくださり、リーフレットもたくさん配るよ!!と快く引き受けてくれた方々がいました。その人たちはとても広く色々な繋がりを持っていて、伝える時は Face to Face で面と向かって一人一人と話をすること、そして出会いに感謝することの大切さを私に教えてくれました。

 

家族も皆、少しでも多くの人に届けようと頑張ってくれています。たくさんの人の協力があり、現在 400 部以上のリーフレットを配ることができています。被害を伝える、広めることは本当に難しくて、推進する側の広告や情報がたくさん目に留まり、憤りや焦りを感じることも多くあります。

 

ですが大きな局面ばかりを見ていると私は冷静さを失ってしまうので、目の前にいる一人一人に向き合っていって、心と繋がりを大切にし、自分の言葉を伝えていくこと。私はアリさん作戦と呼んでいますが、そういった地道でこつこつとした活動によって社会を少しずつ変えていくきっかけが作れたら良いなと考えています。

 

マスメディアによる報道もすぐに変えることは難しいかもしれません。行政と同じで、動きにくい立場もあるんだと思います。けれど、報道に携わり取材をする方々も同じ人。副反応やリスクについて一生懸命取り上げようとしてくれる記者さんにもたくさんお会いしてきました。私たちを無下にしないでくれる人は必ずいる、報道の偏りもきっと変えていける、私はそう信じています。

 

多くの人の心を信じて、私は自分の被害を伝えようと思います。協力してくれる人たちがたくさん集まって力を合わせた時、大きな力にも抗える、良い方へ動かすことができる。そう願って、皆さんと頑張りたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします

 


※HPVワクチン薬害訴訟を支える会・大分のご好意により通信等で発信されている内容を掲載させていただいております。